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沖縄の今☆昔★

Posted by じょえる on 06.2006 沖縄情報 歴史   0 comments   0 trackback
たった60年前の日本での出来事。

米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年3月23日


深夜、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、那覇市の南東5キロにある南風原の沖縄陸軍病院に配属されました。
3月26日、米軍は慶良間列島に進攻、米軍の南下に従い日本軍の死傷者が激増し、学徒たちは後送されてくる負傷兵の看護や水汲み、飯上げ、死体埋葬に追われ、仮眠を取る間もなくなっていきます。
5月下旬米軍が迫る中、学徒たちは日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かいました。移動先の安静もつかの間、激しい砲爆撃の続く中で6月18日を迎えます。学徒たちは突然の「解散命令」に絶望し、米軍が包囲する戦場を逃げ惑い、ある者は砲弾で、ある者はガス弾で、そしてある者は自らの手榴弾で命を失いました。陸軍病院に動員された教師・学徒240人中136人、在地部隊その他で90人が亡くなりました。
米軍は沖縄戦を日本本土攻略の拠点を確保する最重要作戦と位置づけ、物量のある限りを使い、対する日本軍は米軍の日本本土上陸を一日でも遅らせるために壕に潜んでの防衛・持久作戦をとりました。沖縄を守備するため、軍は県民の根こそぎ動員を企てると同時に、学徒隊を編成して生徒たちの戦場動員を強行しました。持久作戦、根こそぎ動員は、12万人余にのぼる沖縄住民の犠牲をうみました。

今は、本当に美しい人、空気、景色の揃う島ではありますが
自分たちの親が生まれていたような、身近な時代に
沖縄では何が起こっていたのか
ひめゆりの塔に行くとわかります。
事前に予備知識を入れて、時間があれば是非
立ち寄って見て下さい。

沖縄の今昔全てを把握出来た時、沖縄で結婚式を
挙げたくなります。

資料館のような物があり、出口付近に感想を書くスペースが
あるのですが、今回少し書いてきました。

それでも居座るアメリカ人
同じ事を繰り返すアメリカ人
出て行くから金を出せと言うアメリカ人
それを許す日本人

アメリカを批判しているのではなく
今のままでは、何も変わらないと言う気がした

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  • 2006年06月06日 (火)
  • 21時07分19秒
by AlphaWolfy

プロフィール

じょえる

Author:じょえる
沖縄が大好きで毎年数回訪れています
いつかは移住と考えながら
奥さんと子供の3人で楽しく暮らしてます
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